自分、バイオ研究者の適正なさすぎて死ぬ。

今週は、STAP細胞で持ち切りの1週間だったね。あまりにインパクトが大きすぎて、「どうせpreliminaryなデータでしょ」などとひねくれたことを思いながら、一歩引いて傍観しようとしていたんだけど、結局論文を読んでしまった…いやぁ。衝撃が強すぎてため息しか出ないね、こりゃ。

iPSに続いてSTAPというインパクトのドデカイ研究が、日の翳るこの国で立て続けに出たというのは、「まだ行ける!」という気にさせてくれるというか、本当にいろんな人の励みになると思う。私もこういう生命科学の発見がしてみたい!と思った方は、keloさんが『STAP細胞に感動した学生は「若手研究者に向けて研究生活とキャリアパス」を読むといいよ』という素敵な記事を書いていらっしゃるので、ぜひお読みください。

…さて、話は変わりまして、仄暗い自分語りをば。

このニュースを見ていて、私は逆に自分がいかに研究者としての適正がないかを、つくづく実感してしまった。小保方先生をみてみると、私のように上から与えられたテーマで「学生としてはイイ!」ということをやろうとか、on/offを分けた中で自分のベストをやろうとか、そういう矮小な人ではない(と私は感じた。根拠は私の偏見と妄想だ)。自分の達成すべき目標が明確で、それに向かって今何を証明していくべきかをしっかり考えている。私のような人間とは違う、「自分が何をなすべきか」を明確に意識しているんだと思う。

今週、実はSTAP細胞以外にもうひとつ、自分の適性不足を実感した出来事があった。それは昨日、年末お世話になった教授の講義を聞いたこと。外科医の先生なのだけど、若い頃から興味のある学会に足を運んで、そこで知り合った仲間たちと一緒に勉強会をしたり、留学して技術を学んだりした…ってそういう昔話。まぁそれだけだったら「なんと意識の高い!」で終わりなのかもしれないけれど、衝撃的だったのが話の視点が「自分史が世界史の中でどう位置づけられるか」とドデカいものだったこと。「自分がこの分野でビッグなことをやってやろう」「自分がこの国を、世界を率いていくんだ」という野望や大志に満ちていた。私にはそういう、「自分が担うんだ」という気概は、ない。心のどこかで「これを知りたいけど、たぶん解明するのは私ではない誰か」と思っている自分がいる。

最近「科学の先端と接触していたい」と題するブログ記事を読んだのだけど、その方が「私の憧れが実は新しいことを自力で発見するという「研究」ではなくて、スパコンを使ってみたい・フラスコで何か反応させてみたいといった「操作」や、最先端で行われていることを「知る」ことである」と書かれていて「あぁ、私もこれに近いな」って思った。ずっと(それこそ8年近く)ひしひしと感じていたことなんだけど、私は別に自分で手を動かして発見したいんじゃなくて、なんかちょっとカッコイイ「サイエンティスト」になりたいとか、先端研究の報告を聞いて自分の中で世界観を掴みたいとか、いわばちょっとプリミティブな情動が背景にある。でも、はっきりいってこれは研究者タイプじゃないんだよ。「研究をするのが好き」というのと、「研究に携わるのが好き」というのは、似て非なるものなんだよね。

STAPのニュースをみてバイオリサーチを志すみなさん、ぜひ自分が何をしたいのかだけは考え続けてくださいね。もしもやりたいことが「自分がビッグな発見をする」という思いと少しズレているのなら、例えば「科学を学びたい」とか「いろんな実験がしたい」という想いが強いのなら、例えばPhDをとってresearcherに…というのはちょっと違う選択肢なのかもしれないから。もっと違う生き方があるのかもしれないから。

…まぁ、とはいえそういう自分もまだ未練を捨てきれずにいるんだが。言ってる傍からSTAPのペーパーを反芻しちゃって、そういえば山中先生も偉大だなー、iPSとSTAPどっちが勝つかなーなんて思い出して山中先生のスピーチ動画見始めちゃったりしている始末で。自分のやってる領域の基礎的なことも分かっていないのに「とりあえずケンキュウがしたいれす!」みたいな厨二病のまま10年間もやってきちゃって、3ヶ所も研究室を替えて未だに論文も書いたことなくって「どうするの?明らかに予後不良だけど死ぬの?」みたいなことを自問自答してばかりの毎日だけれど、まぁもうちょっと足掻いてみようかなとは思っていたり。

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