Re:tweet 1053. 2月は何もなし

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自分のための、ツイッターまとめ。

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病院訪問03: 大学附属病院(東海)

中京圏の大学病院に行ってきた。

微妙である。スタッフは有り余っているため初期研修医がいなくても病棟が回ってしまう…つまり、その気になれば何もしないまま(最悪、それすら気づかぬまま)研修期間が終わってしまう危険性がある。初期研修で全員市中病院に行っていた卒業生が、後期研修でほぼ全員戻ってくることを考えると、門外漢が後期研修に繋げていけるかどうかにも若干の不安を感じる。集まっている研修医も、どことなく「?」な印象を受けた。

立地は(そりゃ東京に比べると負けるけど)凄くいいし、待遇も悪くないし、先生方やスタッフの方々は好意的だったと思うけど…正直、レジフェアでの「ウェルカム!」な印象とは違うなと感じた。

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STAP報道の問題に関するノート。

『一晩中泣き明かした30歳若手女性研究者と書く我が国にはゴシップ新聞しかないらしい』という記事を読んでいて、ちょっと違和感を感じた。

この記事の言っている通り、問題の一点目は実際に何をやったのかを伝えずに「よく分かんないけど、とりあえずすげぇことやった小保方さんはどんな女性でどんな服を着てうんぬん…」という話が始まること。単純に、メディアに科学の科の字も分からないような人しかいないからなんだろうけれど、何年経ってもそういう記者を育てようとすらしないというのは、一体どういうことなのか。

そして二点目、先進国として一番アカンと思うのは、未だに公式の場に性差を持ち込むところ。海外でも、ぶっちゃけプライベートでは「男らしさ」「女らしさ」はヘタすると日本以上にうるさいんだけど、絶対にそれをビジネスに持ち込まない。それを日本のメディアはなぜ「女ならではの発想」「女はピンク!」という昭和な発想に走るんだろうね。割烹着は何らかの個性を示唆してはいると思うけど、どうしてそこで「よっ、おかあさん!」「リケジョ!!」という短絡が起こるのか。

ただし、研究成果ではなく研究者の人となりにこだわることは、私は別に悪いとは思わない。日経系の番組然り、『プロフェッショナル』然り、日本の人間は“有名人の人となり”がどういうものかが好きだ。というか、それは必ずしもこの国に限ったことではない。STAPについて「発見が何なのか、どのように貢献するのかに記事のスペースが割かれ、小保方博士の年齢、性別、服装、ラボの装飾に関しては一切書かれていまん」というイギリスだって、あのワトソンが『二重らせん』を書いている(まぁ、彼はアメリカ出身だけど)。それはある意味でナチュラルなことだ。だってSTAP細胞にせよHiggs粒子にせよ、一般の人がどれだけ興味があるだろう?どれだけ重要な発見であるかを簡略に分かったら、あとはその成功者がどんな人となりなのか、どうやったら自分もそうなれるのか、いわばロールモデル探しに興味が行くのは全然悪くないこと。ただ、それは本とか雑誌の特集とかでやるからいいのであって、最初に事実を報道する新聞がそこに行くのは優先順序の分別がなく、頭が悪い。

また、リケジョもメディジョも必ずしも蔑称ではなく、自分たちを呼ぶときに使われている。というか(それを強化する社会的構造があるからなんだろうけど)自ら「女らしさ」を職場で戦略的に使っている人が少なくないというのも、私の身の回りの現実だったりする。メディアが性差別を垂れ流し、それを人々が貪食し、調子づいたメディアがまたそれを垂れ流す、というこの国の問題は、凄く根深い。

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自分、バイオ研究者の適正なさすぎて死ぬ。

今週は、STAP細胞で持ち切りの1週間だったね。あまりにインパクトが大きすぎて、「どうせpreliminaryなデータでしょ」などとひねくれたことを思いながら、一歩引いて傍観しようとしていたんだけど、結局論文を読んでしまった…いやぁ。衝撃が強すぎてため息しか出ないね、こりゃ。

iPSに続いてSTAPというインパクトのドデカイ研究が、日の翳るこの国で立て続けに出たというのは、「まだ行ける!」という気にさせてくれるというか、本当にいろんな人の励みになると思う。私もこういう生命科学の発見がしてみたい!と思った方は、keloさんが『STAP細胞に感動した学生は「若手研究者に向けて研究生活とキャリアパス」を読むといいよ』という素敵な記事を書いていらっしゃるので、ぜひお読みください。

…さて、話は変わりまして、仄暗い自分語りをば。

このニュースを見ていて、私は逆に自分がいかに研究者としての適正がないかを、つくづく実感してしまった。小保方先生をみてみると、私のように上から与えられたテーマで「学生としてはイイ!」ということをやろうとか、on/offを分けた中で自分のベストをやろうとか、そういう矮小な人ではない(と私は感じた。根拠は私の偏見と妄想だ)。自分の達成すべき目標が明確で、それに向かって今何を証明していくべきかをしっかり考えている。私のような人間とは違う、「自分が何をなすべきか」を明確に意識しているんだと思う。

今週、実はSTAP細胞以外にもうひとつ、自分の適性不足を実感した出来事があった。それは昨日、年末お世話になった教授の講義を聞いたこと。外科医の先生なのだけど、若い頃から興味のある学会に足を運んで、そこで知り合った仲間たちと一緒に勉強会をしたり、留学して技術を学んだりした…ってそういう昔話。まぁそれだけだったら「なんと意識の高い!」で終わりなのかもしれないけれど、衝撃的だったのが話の視点が「自分史が世界史の中でどう位置づけられるか」とドデカいものだったこと。「自分がこの分野でビッグなことをやってやろう」「自分がこの国を、世界を率いていくんだ」という野望や大志に満ちていた。私にはそういう、「自分が担うんだ」という気概は、ない。心のどこかで「これを知りたいけど、たぶん解明するのは私ではない誰か」と思っている自分がいる。

最近「科学の先端と接触していたい」と題するブログ記事を読んだのだけど、その方が「私の憧れが実は新しいことを自力で発見するという「研究」ではなくて、スパコンを使ってみたい・フラスコで何か反応させてみたいといった「操作」や、最先端で行われていることを「知る」ことである」と書かれていて「あぁ、私もこれに近いな」って思った。ずっと(それこそ8年近く)ひしひしと感じていたことなんだけど、私は別に自分で手を動かして発見したいんじゃなくて、なんかちょっとカッコイイ「サイエンティスト」になりたいとか、先端研究の報告を聞いて自分の中で世界観を掴みたいとか、いわばちょっとプリミティブな情動が背景にある。でも、はっきりいってこれは研究者タイプじゃないんだよ。「研究をするのが好き」というのと、「研究に携わるのが好き」というのは、似て非なるものなんだよね。

STAPのニュースをみてバイオリサーチを志すみなさん、ぜひ自分が何をしたいのかだけは考え続けてくださいね。もしもやりたいことが「自分がビッグな発見をする」という思いと少しズレているのなら、例えば「科学を学びたい」とか「いろんな実験がしたい」という想いが強いのなら、例えばPhDをとってresearcherに…というのはちょっと違う選択肢なのかもしれないから。もっと違う生き方があるのかもしれないから。

…まぁ、とはいえそういう自分もまだ未練を捨てきれずにいるんだが。言ってる傍からSTAPのペーパーを反芻しちゃって、そういえば山中先生も偉大だなー、iPSとSTAPどっちが勝つかなーなんて思い出して山中先生のスピーチ動画見始めちゃったりしている始末で。自分のやってる領域の基礎的なことも分かっていないのに「とりあえずケンキュウがしたいれす!」みたいな厨二病のまま10年間もやってきちゃって、3ヶ所も研究室を替えて未だに論文も書いたことなくって「どうするの?明らかに予後不良だけど死ぬの?」みたいなことを自問自答してばかりの毎日だけれど、まぁもうちょっと足掻いてみようかなとは思っていたり。

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