病歴という名のストーリー

入院時の病歴要約(サマリー)をつくるとき、先生によって意向が違いすぎて困る。「きれい」な病歴を好む先生がいる一方で、別の先生には「ありのままに書け!」って言われたりして、学生としてはどうしたらいいのか分からない。

サマリーというのは本来(症例発表なんかで)患者さんの病態を分かりやすく他人に伝えるための形式だ。けれど実際に一番よく使うのは、「上」の先生方に自分の担当患者について説明するなんて場合だったりする。そうすると、例えば患者さんが「胸が締め付けられるような感じ」(=狭心症とか心筋梗塞っぽい)を訴えているのに、どこまで検査しても見つかったのは心房細動だけだった…とかなると「どうなってるんだ!!」と怒られる。そうなると嫌だから、「胸が痛い!」を「気分不快感」と書いてみる。全ての症状・検査結果が、あるひとつの病気に美しく収束していく「物語り」を書く。さすがに検査結果や症状を捏造するなんてことはないけど、それでも患者さんの訴えを言い換えたり、都合の悪い所見はあえて書かなかったりということは、ある。

個人的にはどうでもいいと思うんだよ、治りさえするのならば。上に行けば行くほどポストが少なく、常に能力を試されている先生たち(たいてい若手の医局員)の「穏便に済ませたい」という気持ち、さすがに下っ端の私にだって痛いくらい分かるし、できれば恩師の評価を損なうようなことはしたくないもの。でも、人間である前に科学者でありたい私としては、できれば事実を裏切らないかたちで、なおかつ穏便なサマリーを作りたい。

昨日、教授に相談していて、ひとつの解決策を教えてもらった。たとえば、明らかに足の血行がよさそうなのに、足背動脈を触知しない人がいたとする。正常でも3~4割は触れないと言われている足背動脈だけど、病歴上の「足背動脈触知せず」イコール「下肢の閉塞性動脈硬化症」みたいなところがあって、カンファレンスにそのまま持ち込むと爆発炎上は避けられない(だから、カンファレンスはどれもこれも「足背動脈触知」の症例ばかりになる)。でも、そういうときは後脛骨動脈の所見も書けばいいじゃないかと(普通は、足背動脈と後脛骨動脈のどっちかは触れる)。見た所見を改竄したり(「足背動脈触知」)、見なかったことにする(何も書かない)よりは、さらに事実を書き足したほう(「足背動脈触知せず,後脛骨動脈は触知」)がはるかにマトモだし、正当だ。

上の例で言えば、例えば「心臓のあたりが痛かったんですか?」なり「どんな痛みでしたか?」なり訊いて、もし「動悸がして心臓が痛くなって…」ということだったら、それは「胸痛」や「胸部絞扼感」ではなく「動悸」ととっても妥当だろう。矛盾があるように見えるのは、多くの場合は問診なり身体診察なり、こちらの手落ちが多いのかもしれない。

…問題はそれでも矛盾が解決しない場合なんだよなぁ。さらにややこしいのは、「上」の先生がカルテに「動悸」と書いてる心房細動の患者さんが、いくら訊いても「いえ、動悸はなかったです、胸にキューっと締め付けられる痛みがありました」なんて場合。「動脈触れたよねー」って言われた患者さんなのに、直後に自分がやったら触れないわ、血圧計ったら明らかに低くて動脈硬化としか思えないような場合。事実を書けばカンファでは爆発炎上、先生からは反抗的な奴…と目をつけられる。かといって、先生に盲従したらトンチンカンな治療をすることになるかもしれない。うー、どうしたものか…

学生のうちは権限もないし、最終的には先生の責任だから言われた通りにすべきかと考えているけど、自分が医者になったらどうしよう。たとえ飛ばされようとも、あるがままの現実に忠実でいたい…と今は思ってても、5年後、10年後の自分がそんな綺麗事を言っていられるのだろうか。

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