Decadus Horribilis 1: 10年間の嵐のあと

創造的人生の持ち時間は10年だ。

これは、映画『風立ちぬ』の中でも最も印象に残るセリフだったんじゃないかと思う。おそらくは宮崎駿監督が半ば自分に言い聞かせるためにカプローニに喋らせたんだろうけれど、それは同時に観客、特に自分の青春がとっくに過ぎてしまったと感じる大人たちの心を深く抉り取るための言葉でもある。

私も、アカデミック(笑)なキャリアを志して10年が経ってしまった。とは言っても堀越二郎のような聡明さはないし、芸があるわけでもないし、コミュ障だし、動機付け弱いし、低いほうへと低いほうへと流されるままに…当然ながら「終わりはズタズタでしたが」

特に薬学部時代は、これ以上にダメになるだろうか?と自分でも思うくらい混迷を極めた。受け身な学生には厳しいラボで、見捨てられた私に渡されたのは先輩曰く「外れテーマ」。英語がちょっとできる!というのが唯一の自信だったのに、同じラボの同期にアメリカの大学院に進学(+後に現地で結婚)するほどぺらぺらな子がいて自尊心はボロボロ。このまま手元のテーマをやっていても将来性が見えず、最後の頃は完全にうつ状態。業績の残骸は、辛うじて(先輩がお情けで名前を載せてくれた)学会発表の要旨集として見つけられるくらい。

医学部に移ってから、アルバイトで通い始めたラボでも、頭悪いのかテーマが合わないのか(たぶん両方)全然仕事ができなかった。結果として、1年近くかけた挙句に使えないゴミクズデータを残すという、本当に給料泥棒みたいなことをやらかした。それでも、上司が同情心から論文のAcknowledgementに名前を載せてくれたのはこれまたお情けか…後日、後輩が同じラボに来てサクっと論文をまとめていったというのは以前のツイートまとめでもちょっと触れた通り。

そんなゴミクズにも3度目の正直というのはあるもので、交換留学先で所属した3つ目のラボでのデータは、なんとか学会でのポスター発表まで辿り着くことができた。とは言っても研究自体は先輩が進めたものだし、査読に耐えられる内容ではないし(注:学会のポスター発表は専門家による審査がない)、あまり大きな学会ではないし、なによりポスターの説明は私じゃなく先輩がやるし、ということで全く胸を張れる業績ではないのだけど。

いま、その発表のためにシアトルに来ている。きっと、もう学会発表なんて二度とすることはないだろうな…と思うと、どうしても自分の10年間は何だったんだろう?と考えてしまう。で、ふと「(生命科学系の)研究を漠然と志望して、つまづいてしまったエア後輩(=過去の自分)に、今の自分は何を伝えられるだろう?」と思い、こんな文章を書いてみることにした。5泊7日なので、全部で5つか6つくらいになるのではないかと。

ということで、初っ端からとりとめもない投稿だけど、最初のメッセージを強引にひねり出すなら「輝く研究者達の後ろに、失意のうちに去っていった学生・研究者がいっぱいいるんだよ」ということか。私に限らず、なんとなくいつかはノーベル賞も取れちゃう?みたいな夢を抱く厨二病患者は少なくないように思うのだけど、その目に映る華々しいキャリアはほんの一握りの成功例でしかない。実際には(どんな世界もそうだけど)勤勉さと聡明さだけじゃダメで、世渡り上手、家族や友人、ブーム、そして運といったものが全部揃わないと成功することはできない。少なくとも、ほんのささいな障害にひっかかって、気がついたときには立ち上がれなくなっていた学生たちも大勢いるんだということを、心に留めておいてもらえれば嬉しいなと思ったりするんです(そして念のために言っておけば、そこから立ち上がった人も大勢います)

それにしても、台風26号が直撃する直前のフライトなんて、本当に自分にぴったりだなと思った。普段は台風でフライトがキャンセルになった乗客へのインタビューなんてニヤニヤしながら見ているくせに、いざ自分の番になると、チキンなので大揺れの機内でビビりまくり。

でもこんな嵐の中でも、夜遅くまで(雨具も身につけずに!)働いてくださる方々のおかげで、無事に飛び立てたことに感謝です。

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