学校でPubMed(医学論文の検索サイト)の使い方を勉強したのだけど,そんときに与えられた課題が「グルコサミンは関節炎に有効か」とか「風邪にはビタミンCか」とか,そんなんばっかだった.たぶん「エビデンス(医学的根拠)あるんか?wwwないやろwwwどやwww」って盛り上げたかったんじゃないかと思うんだけど…しかし,ドラッグストアでバイトしている身としては「ちょwww待てwwwww」と言いたくなる.
健康食品がインチキくせーってのは分かる.例えばグルコサミンとかコンドロイチン,「健やかな毎日にゼヒ!」とか曖昧な広告をしてる時点で胡散臭い(←「関節痛に効く」って言うと薬事法違反になるので).実際,コンドロイチンに関する国民生活センターの報告によれば,含有量は少ないわ原材料テキトーだわで,エラいことになってる製品も少なくないという.
ここで私が訊きたいのは,「じゃあ医薬品はどうなの?」っていうことなのさ.例えばコンドロイチンは,医療用の医薬品になってるのもあるわけデスヨ.医薬品は含有量とか吸収性とか,一定の基準を通ってるわけだけど,それでも効かないとすると…第三類医薬品をドヤ顔で売ってる私たちがアフォだってことになるどころか,医療用医薬品の注射剤とか使ってる医者も,それを認可した行政もクソの山だってことになるが大丈夫か?
(注:以下,あくまで個人の感想であることをご了承の上,お読みください.
ご自身の健康問題に関しては,ためしてガッテンやDHCで何とかしてください.)
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留学先の学校に書類を出した.
氏名や住所,希望の研究室なんかをアプリケーション・フォームに書いて,先方とこちらの両方の紹介状,履歴書なんかを添付してポチっとな(全部ウェブで手続きできる).履歴書,TOEFLどころかTOEICすら受けたことがなかったから,バイトの職歴なんかを大げさに書いたりして誤魔化したけど大丈夫かな…あと,無理してフランス語とか中国語も初級ですなんて書いてみたし Σ(゜ー゜;)
それにしても,パスワードリマインダ用として「秘密の質問と答え」の設定があったんだけど,そのデフォルトの質問が:
何この質問ふざけすぎでしょう?キス関係の質問とか多すぎだろ
ウチの学校では,臨床実習に入る前の半年間,基礎医学研究を体験することになっている.先日,ようやく研究室配属が決まったのだけど,放課後にふと周りを見たら,もうそれに向けての勉強を始めている人がいた(しかも…医学研究なのに数学だー!).実際に始まるのは10月だから,ずっと先のように思ってたけど…やっぱりしっかりしてる人はしているなぁ.かっこええ (*’-‘)
そういえば,バイト先でも,今年の秋に医薬品の登録販売者試験を受ける,って言ってる人がいたわ.他にも,みんな専門書を読んでいたり,絵を習いはじめたり…よくやるなって思う.いや,ひねくれてるんじゃなく,本当に感服してるんだよ?よくイマドキの若者はーとか言ったりするけど,向上心のある奴ってのはほんっと凄いものがある.
梅雨ってのは,何か勉強を始めるにはいい時期なのかもしれないね.長雨で外には出にくいし,かといって部屋でただじっと腐ってても気が滅入るだけだし,だったらキャリアアップしとくかーって感じになるのかもしれない…まぁ,これは私の妄想だけど.
かくいう私も,なんかTOEICとか受けようかな…と思っていたり(とは言っても,ちょいちょい英語のスコアを要求されるので,やむにやまれず…って感じだからなんだけど).
劇作家・坂手洋二さんのブログに引用されていた,伊丹万作監督の「戦争責任者の問題」という文章を読んだ.彼の「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」という主張には,なるほどなぁと思うところがある(と同時に,ちょっと反省する).
そして,佐々木中さんのSnapper’s Delight.ブログが始まった当初は,素人が写真をパチパチ撮って,何かを成し遂げたような気になってるだけかと思ってたんだけど,続けて見ているうちに,何か一貫した主張を感じた.特に,権力に対する抵抗の眼差しだ.
それから,NHKのETV特集でやっていた「亡命詩人の憂鬱」のこと.天安門事件に関わった結果,その後ずっと社会から排斥され続け,社会の最底辺にあえぐ人々を見ていると,いろいろと考えてしまう.
ここに挙げた人たちの,ベクトルの向きは必ずしも同じではない.けれど,きちんと声をあげて,巨大な集団に立ち向かっていく勇気は共通していると思う.凄いな,と思うと同時に,同じことは私にはできるだろうか?私がしていいのだろうか?と悩んでしまう.
できないな,というのが今の私の結論.異議を唱えるには,私はあまりにも従順に育てられすぎている.もしかしたら後々「後暗い過去」として後ろ指を指されるかもしれないと思うと,怖い.それに,投獄され「暴徒」というレッテルを張られた中国人商店主が,釈放後に親に土下座したことを語る時の涙を見ると,なおさらそんなことはできないと思ってしまう.でも,本当なら誰もが声をあげなくてはならない,誰もが成さねばならないことでもあろうかと思う.
うーん,難しい.
きょう,友達のGalaxy Noteで遊ばせてもらってきた.例のあの,写真にタッチペンで書きこんだりして,やたら楽しそうなCMやってるやつ.
こいつがとっても面白い!あれは「Sメモ」っていうデフォルトのアプリ使ってるんだけど,実際に使ってみた感じ,こいつはアイディア次第で無限の使い方があるというか,うまく活用したら化ける!って印象だった.例えば,大学生だったら講義のスライドをパシって撮って,そこに手書きでコメントを書き込むとか.タッチペンの処理が遅いので,本気のイラストとかには全然向かないけど,気軽にいろいろ遊ぶにはいい感じだ.
こうして久々に落書きをしていたら,改めて自分のいろいろなことに気が付いた.あー,自分はネタイラストを作って,人に「どやwww」って見せるのが好きなんだなぁ,ってこととか.要は人に見てもらって,褒められるなり喜んでもらうなりしたいんだなって.
このブログを作った途端,全く絵なんて描かなくなっちゃってるわけだけど,これもむべなるかなって思ったよ.だって,アップしようと思ったらどうしても身構えちゃうし,そもそも見せる相手がいないから,なにを描いたらいいのか分からない.きちんとした作品となると,どうしても“みんなが”楽しめるストーリーを描こう,ってなるわけだけど,“みんな”が何を楽しいと思うのか分からないし,結局はいくら頭を絞っても何も出ない.こんなんじゃ,そりゃ描けないよね,っと.
そんなことをつらつらと考えてたら,ドクターイエローさんが「萌えサイクル」ってことを書いてるのを読んで,あーなるほどなーと.要するに,いまはなんか食欲が満たされてないから,なにも出てきませんよってことなのかもしれんなと.
そういえば先日,研修病院ガイダンス行ったときに,招待講師の方が「マズローの欲求段階説」の話をしていた.それによると,人間ってのはより原始的な欲求が満たされないと,その次の欲求は生まれてこないのだそう.まぁ,あくまで心理学の仮説なんだけど,そんなこともあるかもしれない.つまり,睡眠欲とか性欲とかが満たされてないような状況じゃ,自己実現どころか,“人に見てもらうための”絵すら描く気がしないよね,っと.
とりあえず現状,まずは映画とか音楽とか,食欲を満たすことを考えよう.そんでもって,アップとか考えないで,なるべく自分の気持ちいいものを,描きたいときに描くようにしよう.あとは,今日感じたような楽しささえ思いだせれば,もうちょっとサクサク鉛筆が動くようになるのかも.