高音質ヴァナ・ディール?

夜中の3時です。眠れねぇ。眠りたい気分じゃないって言った方が正確かな。だけどさすがにそろそろ寝ないとマズいよね。
今日は近所の電気屋で、ステレオミニプラグ(普通のイヤホンとかのプラグ)とステレオピンプラグ(左右それぞれが紅白に分かれているプラグ)をつなぐケーブルを買ってきてみました。私の持っているMDコンポについて、メーカーのオンキヨーからアンケートが来てたんですが、それに目を通しているときに「パソコンとコンポをつなげる」って使い方に初めて気づいて、面白そうだなって思ったわけなんです。
ちょうど『パイレーツ・オブ・カリビアン』だの『パトレイバー』だのといったDVDを借りてきていたところだったので、さっそくコンポにつないで観たのですが…いや、やっぱり全然違いますねぇ!パソコンのスピーカーより音質ははるかにいいし、ヘッドホンより迫力があって。最近ちょっとコンポが活用されてない感じだったんですが、新たな活用法発見です!
さっきちょっとFFやってみたんだけど、こっちもリアルで、今以上にリアルとの区別がつかなくなりそう。…何言ってるのか分からないね(笑)。とりあえず、高音質の味をしめてしまうと、今度は高画質の液晶が欲しk

自分の冒険者ポリシーについて、後編。

それで、今日は昨日に引き続き、私の悩んでいることについて、より具体的に書いていこうと思う。まぁ、読んでもらうことは期待してないよ(笑)。ただ、実は今まで書かなかったんだけど、最近学校のカウンセラーにカウンセリングしてもらっててさ、そのためにもここいらで自分の心をまとめておいたほうがいいと思うんだよね。他の人に読んでもらえるくらいの形でさ。
まず、バカっぽいけど―私は、赤魔道士のように生きたいと思う。ソロで、独立した一つの「要素」として、主体的な個人として、あらゆることを自分で見聞きし、判断し、そして働きかけていける存在でありたい。同時に、パーティで、他の「要素」との対等な関わりあいの中で、何かを作り上げていきたい。そして―誰かを幸せにしたい。目の前の誰かを幸せにしたい。それが私の基本的な気持ちだと思う。
私は、高校生までの間は、英語が一番好きな科目だった。だって、英語には他の文化や風土の香りがあって、英文を通して広い世界が垣間見えたから。だけど同時に、英語はあくまで手段(mean)であり、それを目的(end)にしてはいけないとも思った。だから、英語を専門に学ぼうとは思わなかったし、この気持は今でも変わらない。
広い世界を見てみたい。世界をなるべく「科学的に」把握し、そこから新しいものを「芸術的に」創り上げたい。generalistであると同時に、specialistでありたい。むしろ、specialistでなくてはならない。…そう思った時に、なにが自分にとっていい「仕事」になるんだろう?それが分からない。
研究室は嫌だ。テーマにそもそも興味が持てないし、そもそも生命科学は学習(learn)したいけれど、別に研究(study)の対象にはしたくないと思う。しかも、今の研究室は「仲間」なんてものがありえないし、そもそもコミュニケーションさえままならない空間なんだよね。そんなところにいたら、自分がダメになってしまう。
…だから医者になろうと思った。目的意識を持って、目の前の誰かを救えるから。しかし、医療はやっぱり「技術」であって「科学」じゃないんだよね。実学は、本当の学問にはならないんだよ。しかも、医者になってしまったら、実はいろいろなことに縛られてしまい、自由がないってことにも気付かされた。人助けはしたいけれど、そこに一生を費やすのは嫌だというのが、正直な気持ち。人助けは「できるときにできる限りで」したいっていうのは、すごく自分勝手なんだけど、でもそれが本音なんだよ。自分を裏切ることって、できないんだよ。やりたいことと、仕事にすることとは別問題なんだって、思い知らされたね…。
じゃあ、仕事にしてもいいことって?イラストレーターにはなりたいと思う。イラストは、私が一番、自分の意見を発信する手段にしたいものだし、そのスキルを学ぶことは価値があるとは思う。だけど、それじゃあ生活できないって…。
ミュージカルにも興味がある。『キャッツ』に衝撃を受けてからというもの、その舞台に立つことにあこがれ続けている。だけど、今まで演劇もバレエもやったことがないし、あの厳しい世界に飛び込む勇気は、私にはない。だって、努力が実らないことだって少なくない世界なのに、地道な反復さえできない私には無理だろう。
そこで海外に留学することも考えた。でも、何のために?MBA?それともクラスメートのように研究室へ?…「英語は目的じゃない」と言ったばかりだ。それなのに、やりたいこともないのに留学するなんて…それは単なる逃避でしかないよね。
そもそも、これ以上、親に頼り続けるわけにはいかないと感じる。やりたいこともないのに、ダラダラ生きていくわけにはいかない。
父は最近母を責めているようだし、両親ともわたしを「どうしようもない」という目で見ている。悲しいけれど、こうなって当然だろうなって思う。だから、自分ひとりで、独立しなくてはならない時期に来ているのかなって思う。何かを学びたい。しかし何を学びたいのかが分からない。分からないのに寄生しているわけにはいかない。
…昔から電車が好きだった。だから鉄道会社に就職してもいいかなと思っている。鉄道会社だと、そんなに大きな夢を持つことはできない。世界に羽ばたくことはできないし、収入もそれほど期待できない。それhどお刺激的な環境ではないだろうし、何かを創造するような余裕すらないかもしれない。…それでも、大好きなことであれば、諦めもつくかもしれない。もう終わったんだと、諦められるかもしれない。少なくとも、とりあえず自分ひとりだけで、生きていけるのかもしれない。
…でも、思う。諦めてまででもこの人生を生きる価値があるのか、と。そんな失望の中で生を望むならば、いっそと。明日の見えない毎日をもがき続けるよりは、この命を、と…。
どうにかしたいと思って、悩み続けてきた。どうにかなると思って、多くの人に相談し続けてきた。それでも、世の中にはどうにもならないことがある。世の中には、辛く苦しいことが満ち満ちているんだ…。
どうしたらいいのかわからない。どうすればいいんだろう?

  • ̃Gg[͂ĂȃubN}[Nɒlj

コメント・トラックバック

この記事へのコメント・トラックバックはありません.

現在,この記事へのコメント・トラックバックは受け付けておりません.