すっかり秋やね。
だいぶ涼しくなりましたね。私の住んでいる辺りでは、銀杏をはじめとした木々がすっかり秋の装いです。近所の公園では加えて雑草が刈りとられてしまったので、なんだか寂しい景色になってしまいました。みなさんのところはいかがでしょうか?
昨日はクフィム島に支援物資を運んだついでに、デルクフの塔とか散歩してみました。こちらはずっと冬景色のまま。だけど、鍵取りの頃は脅威だった敵も練習相手にならなくなっていたりと、なんだかあの頃とはまた違った雰囲気で、結構楽しかったです。
本日のお題は、個人的な話(笑)。最近、退屈でつまらない授業が多い。本当に多くて困ってしまうくらいです。で、そんな授業には全く身が入らないので、ちょっとその時間を有効活用して、「よい授業とは一体どんなものなのか」を考えてみました。授業態度としてはこの上なく悪いんだけど、反省はしていない(笑)。
よい研究者は、よい先生になるとは限らない。
まず、一番大切なのは授業の構成。講義全体の流れを意識して授業を進めてほしい。最悪なのは、自分の専門分野の話やプライベートな余談ばっかりしていて、何がメインなのか分からない授業。酷い人になると、重要な単語なのに定義すらせず、授業中ポンポン使ってきたりしますからね。「今日のテーマは何か」「今話しているのは何に関する例なのか」「ここで伝えたいメッセージは何か」といったことを意識して話すのと話さないのとでは、聴いているほうの理解度は全然違ってくると思います。そもそも、授業がグダグダになる先生は、授業の準備をサボってアドリブでやってる人とか、自分で話している内容が本当に理解できていない人なんでしょう。例えば、授業の最初に「今日は何々について話します」という一言を添えるだけでも、授業の雰囲気はかなり変わるのではないでしょうか。
次に、レトリック。といっても仰々しいものではなくて、ごく当たり前のこと。まず、大きい声で明るく喋る。たまに前列の生徒に対して語りかけるような授業をする人がいますが、後ろに座っている生徒にとっては迷惑ですね(積極的な学生以外は対応しないという主義ならそれはそれでアリでしょうが)。とにかく喋り方が暗いと最悪。やる気なくすもん。それから、話す内容に機転を利かせる。たまに、聞き手のレベルに合わない話をする人がいますが、難しすぎる話も易しすぎる話も、結局は退屈なんですよね。生徒の理解度を随時把握して、それに合った適切な教え方をしていくべきでしょう。あと、専門バカみたいな先生もいますが、どちらかというと話題に事欠かない人の話の方が聴いていて楽しい。例えば、科学嫌いな私は、授業中にちょっとでも歴史的な背景とかを話してもらえると、それだけで授業への関心が全然変わってくるんですよね。というか色んな話をしたほうが、それだけ幅広い生徒の関心を惹けると思いますが。他には…うーん、ジョークなんかも面白いかな?オヤジギャクみたいのとか(笑)。
最後に、授業プリント。まずはプリントを人数分刷ってこない人がいるけど、これは論外なので触れません。で、実際に配られるプリントなんですけど、あまり詳しく書きすぎてても、逆に全然書いてなさすぎてもダメだと思う。詳しく書きすぎてると、授業がプリントの棒読みになっちゃって、出席している意味がない。だから、プリントだけもらって授業を聴かない生徒が多くなる。さらにプリントがゴチャゴチャで余白が無かったりすると、自分でコメントを書く場所が無くて不便だし、後で見たときに何が書いてあるのか分かりにくい。一方、書いていなさすぎる場合、結局は自分でノートを取ったほうが早いじゃない、ということに…。というか、授業の構成さえしっかりしていれば、プリントは必ずしもいらないような気もしますね。もし配るとしても、重要な用語や公式さえ把握できるようになっていれば、後は講義のアウトラインが分かる程度でOKじゃないかなぁ。
…と、何やら偉そうに教員批判してみました。けど、こういうことって授業だけじゃなく、あらゆるスピーチについて言える、とっても大切なことだと思うんですよね。別に先生をバカにしてるんじゃなく、「他山の石以て玉を攻むべし」ということかなぁと。私も人に何かを伝える時は、こういうことに注意して喋るように心がけようと思ってます。もしあなたが先生なら、同僚たちを反面教師にしてみてはいかがでしょう(爆)。
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