短頭種と生きるモノの負う罪
そういえば一昨日、『続・犬たちの悲鳴 告発から3年』というドキュメンタリーを見た。「犬の外見上の特徴を強調することが優先されるあまり近親交配が重ねられ、多くの純血種の犬たちが重い障害や病気を先天的に持って生まれるケースが急激に増えている」というレポートの続編なんだけど、まぁ衝撃的なもんだった。
特にショッキングだったのが、キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルに関する報告。脊髄空洞症を発症する個体が多く、酷い頭痛と感覚異常(激痛らしい)で七転八倒した挙句、安楽死せざるをえないのだとか。また、一見すると健康そうに見えるキャバでも、ほぼ全員が5歳で心雑音を生じるという。前のパグが亡くなった後、最初はキャバリアを買うことを真剣に検討していたので、不謹慎ながら「買わなくて本当によかった…」と思ってしまった。
でも、いま私が飼っているのもペキニーズも短頭種。言い方は悪いけど、ほとんど奇形のようなものを「かわいい」と言っているようなものなので、偉そうなことは言えない。彼らが呼吸も体温調節も大変なのは分かっているので、それだけ気をつけてあげようと思っていたけど、この番組を見ながら「そもそも飼ってること自体が罪だ」と言われている気がした。番組中の獣医師が(パグを手術したあとに)「我々はブリーダーの尻拭いをさせられているというのが現状です」「こういった犬種はもはや繁殖させるべきではない」と怒ったのも無理はない。見方によっては、自分の中の醜い欲求を彼ら(短頭種)が引き受けてくれていたんだなぁと。
似たようなことは他の動物でも起きているよね。私は猫だとスコティッシュ・フォールドが大好きなんだけど、これまた人間のエゴを具現化したような品種。彼らの折れ耳は軟骨異常によるものなので、折れ耳の猫同士で交配するとそうした先天異常が顕在化しやすい。だから立ち耳の猫と交配してあげなきゃいけないんだけど、概して立ち耳の猫は価値が低い…もはやこれを「品種」としてよかったのか微妙なレベル。
じゃあどうしたら?というヒントとして、この番組が紹介したのはダルメシアン。アメリカのブリーダーが、ダルメシアンの元となった別犬種との交配によって、ダルメシアンのスポットを残しつつも尿酸代謝異常を克服した個体を育てたという。おそらくこうして、遺伝的多様性をなるべく保ってごまかしつつ、品種を維持して人間のエゴも満足させるっていうのが現実的な対応なのだろう。
この100年の間に、ダックスフントやブルドックなど多くの犬たちが、外見を重視するあまり極端な体型に変化させられてしまったという。おそらく、T. S. Eliotが「ピーク家とポリクル家の仁義なき戦い」を書くときに見たペキニーズも、私と暮らしているペキニーズとは似て非なるものだったんだろう。彼と暮らす立場として、犬たちの将来、それ以前に「彼」自身のQOLを高める責任があるんだ、と改めて反省させられた(以前にパグを亡くしたときにも痛感したけれど、人間というのは案外非情なもので、すぐに忘れてしまう)。人間も犬も猫も、生きているうちが華…できるだけのことをしなくちゃ。
5月28日の深夜にも再放送があるようなので、興味のある方はどうぞ。
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