これからの10年、どう生きていこうかな…?
今日はテレビ番組の紹介から。NHKスペシャルでやってる、『病の起源』っていうシリーズ。個人的には、久々に秀逸な企画じゃないかと思ってて…っていうのは、テーマが斬新でしょ?「人間特有の病の原因は、人間の進化史の中に見いだせるはずだ」っていうモノの見方は、今までなかったよね。科学番組という枠を超えた学際的なもので新しい…云々はさておき。とにかく、ナレーションとテーマ曲が泣けるんだよ(笑)。
で、今日はそれの第4集。読字障害(ディスレキシア)が取り上げられてて、とても面白かった…のですが。ちょっと引っかかりもあったんで、ここに書いてるわけで。何かというと、「やっぱり脳科学はまだまだ曖昧な分野なのかなぁ」ってこと。確かに、記憶とか、言語とかは少しずつ分かってきているのかもしれないけどね。でも、まだそれも現象を説明する仮説が立っただけで、その全容まではまだまだ辿り着かないという印象を受けた。
例えば「左脳は論理」とか「右脳は芸術」とかって言うけど、そんなの全然科学的に証明できてないわけでしょ?現象からそう推理されてるだけであって。なんかそういう憶測が憶測のままで残っちゃってるのが気に入らない。うーん、なんでだろう…やっぱり既存の方法論だけじゃ全然アプローチできないんだろうなぁ。
おそらく、生物学に最後のフロンティアが残されているとすれば、それは人の心だと思う。特に、情報が氾濫する21世紀、人間の持つ感情や意識といったことは、究極の課題にならざるをえないだろうし。そもそも、21世紀そのものが「心の世紀」って言われているくらいじゃん?だとしたら、リアルで冒険者やろうと思ったら、こういう世界に飛び込むってのもひとつの道かもしれませんな。
まぁ、要するに、脳科学は流行りそうだって思った、それだけでございます。だから脳科学やろうかと(苦笑)。
人と話をするうちに、自分の姿も見えてくる。
実は久々に、知人と話す機会があったんだな。金曜日は高校の友達と食事に行って、土曜日は大学の先輩に御馳走になってきて。で、金曜日のは月一定例(?)の”息抜き”だからよかったんだけど、土曜日のが重かったんだよなぁ…。同級生の合格祝賀会だったんだけどね、会話の内容に追いつかなくって。
知人と先輩と3人で行ったんだけど、その2人の会話にうまくついていけないんだよ。会話のレベルっていうか、考え方のレベルがあってないんだよね。どういうことかっていうと、例えば2人がしている免疫の話に興味が持てないとか、お金とか恋愛のことについて真剣に考えられないとか、そういうこと。まぁ、クダラナイって言われちゃうかもしれないけど…うーん、やっぱりハタチ過ぎた人間として、特に生命科学を志した人間として、そういう話に興味が持てない自分を認めるっていうのは辛いです。周囲に対してのみならず、自分にも嘘をついているのが分かってしまうからね。
ただ、ここで慌てちゃダメだと思う。もう少し粘って、本当に自分に必要なものは何なのか、正しいと信じることは何なのか、そこにこだわった方がいいんだと思う。そう自分に言い聞かせてます。どんな人にも、できることと、できないことがある。だからきちんと優先順位をつけて、本当にできることだけを、やりたいことだけを、やったほうがいいんだと思う。
だって、冷静に考えたら、日本に何人の人がいるんだって話なんだよね。1億2700万人もいるんでしょ?自然科学っぽい表現を使うと、”1.3 x 10^8″人(累乗の表記ができないんで、チルダで表記しています)。世界全体なら10の9乗とか10乗とかになるわけじゃん…そんな中で、自分にどれだけのことができるのかって話だよね。そりゃ100年前みたく人が少ない時代なら、ちょっとした才能でも開花できたかも分からないけどさ。これだけ歴史が積み重ねられてきて、しかも人がウジャウジャいる世の中でしょ。ちょっとやそっとの能力じゃ大した仕事はできないと思うんだよ。それよりはむしろ、成果だの効率だのに縛られず、とにかく「自分が」やって後悔しない仕事をしてみりゃいいんじゃないかって感じる。「職業」という意味の仕事に限らず、ね。
とかなんとか、偉そうな口を叩きつつも、正直なかなか束縛から逃れられないのが本音です。金とか、名誉とか、成功とか…でもそれは、人間として持って当然のものだと、折り合いをつけた方がいいのかもしれない。あまり物事をややこしく考えずに、自分に正直に生きた方がいいような気がしています。
ということで、明日は祝日ですが…私は予備校なので泣いてきます(笑)。
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